小学3年生のすべらない話

姉と私、それから小学3年生の女の子である姪の3人で話していた時のこと。姉が私に「すべらない話、してよー」と無茶な要求をしてきた。何かにつけ姉の真似をしたがる姪も「すべらない話、してよー」と騒ぎ出してしまい、声を合わせて「してよしてよ」の大合唱。こうなるともう止まらない。

仕方ないなぁ、と私は話し出す。

学校で怖い先生がいてね、部活の最中にみんなを集めてお説教を始めたの。ものすごく怒ってて、怒りながら、ジュースを飲もうとしたんだけど、みんなの方を見たまま飲もうとしたもんだから、鼻の穴にストローがズボッ!と入ったの!はい、すべらんな〜。

面白い話をするというのは素人には難しい。この話、書いていても面白くないし実際少しもウケなかった。

次は、姪ちゃんの番ね。うん、わかった。

学校でこわ〜い先生がいて、たばこを吸おうと思ったんだけど、間違えて指に火をつけたのね。そしたらその先生、燃えちゃったの。

終わり。場は爆笑に包まれた。そしてウケたことに気を良くしたのか、催促してもいないのに別の話が始まった。

工場で5人の人が働いていてね、1人が失敗して燃えちゃったの。それを助けようとして3人が燃えちゃったの。別の1人が救急車を呼んだんだけど、救急車に乗ってる人も燃えてる人に近付いたらみんな燃えちゃったの。それが燃え移って、工場も全部燃えちゃったの。町もみんな燃えちゃって、その町には誰もいなくなったの。

小学生ブラックすぎる。

早くおばさんになりたかった

今年30歳になった。女としてあと何年通用するのか、結婚は、出産は…など、歳を取ったことでの不安はもちろんあるが、30代になったことでようやく肩の荷が降りた気がする。この、コミュ力を必要とされる息苦しい社会の中で、若いお姉さんとして生きていくのは私にとってはつらいことだった。

「おばさん」という呼称(Ohnoblog 2)
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100809/1281348120


「おばさん」という呼称は蔑称なのだろうか?世の中の女性はみんないつまでも若くみられたいのだろうか?はっきり言って私はいくつに見られようがどうでもいいのだが、女性は30越えたらおばさんだと思う。だから、私もおばさんの仲間入り。おばさんと呼ばれても全然平気、嫌じゃない。

一番楽しみなこと。それは、おばさんだったら誰にでも親切になれるということだ。若い女が男性に親切にすると、端的に言うと「でれでれ」される。そしてそれは女を売りにしていない者や場面によっては不快に感じるのである。困ってる人がいたら助けてあげたいだけなのに、女であるということで何もできなくなってしまう。また不快なだけではなく、自意識過剰と言われるかもしれないが「ナンパされたら」「つきまとわれたら」「レイプされたら」という不安がつきまとうのだ。おばさんならそんな心配はない。

それに友達がいなくても、いつも一人行動でも、ちょっとおしゃれをさぼっていても、空気を読まなくても、多少ずうずうしくても、大丈夫。だっておばさんだから。人間性を否定されたりしない。おばさんだから、恥ずかしくない。

女であることをやめたくはないけれど、張り詰めた神経をちょっと緩めることができた、30歳のおばさん。

なんて、らくちん。

さて元記事にもちらりとあったが、私が恐れているのは旅番組などでリポーターがお年寄りなどに言う「おかあさん」だ。私は生涯子どもを持てないかもしれないと今、不安に思っている。歳を取って子どもがいなかった時、それは自分から選び取った決断ではない。そんな時に気安く「おかあさん」と呼ばれたら、眠る前に布団の中で人生を悔いる夜が一週間は続くだろう。

歳はみんな取る。おばさんだっていいじゃないか。みんなおばさんって呼ぼうよ。呼ばれようよ。結婚や出産は人それぞれなんだから、「おかあさん」「奥さん」はやめようよ。

目上の女性を「お姉さん」と呼びながら、そんな世の中になったらいいなあと夢想するのだった。